半月庵へようこそ
当庵は、明治二年にお茶室として誕生しました。
旧海軍の水公社の場として、宇野千代の著書「おはん」「風の音」等の舞台として多くの著名な方々の訪れも得ました。
また、料亭・旅館として多くの方にご愛顧頂いております。
古の香りを残し、明治のロマンと平成のモダンを兼ねそろえた心の宿、憩いの宿として、
皆様の旅のひろがりと安らぎをお約束いたします。
庭園
当庵の庭園は半月庵が始まる前よりある歴史あるお庭です。小さなお庭ですが手入れをして大切にしています。
お越しのお客様にもお褒めいただくことがあり、嬉しい限りです。ご宿泊やご昼食のお客様もお庭をご覧いただけます。
自己紹介
半月庵主人の森本洋一です。私で六代目となりますが、その間一貫して変わらないのが茶の湯の心である「一期一会」の精神です。
その思いがお客様にも伝わり、岩国出身の女流作家宇野千代の琴線に触れて、名作「おはん」の舞台として登場するようになったと聞いております。
たまの御利用だからこそ、美味しいものが食べたい、寛ぎたい、思い出に残る時間を過ごしたい、お客さまをもてなしたい、というお客様のご要望に全身全霊をもって務めさせて頂きます。
非日常の一時の為に厳選した食材と、家庭では出来ない修行を積んだプロの板前だからこそ出来るお料理の数々、そして女将を中心とした一期一会を基本とするおもてなしの心をもって皆様のお越しを心よりお待ちしております。
お知らせ
この度、当庵が厚生労働大臣表彰の食品衛生優良施設部門に表彰されました。
素晴らしい表彰に恥じないよう今後もお客様に満足いただけるお料理やサービス提供に努めさせていただきます。
半月庵の歴史
創業期
明治維新を迎え武士の時代が終わりを告げた頃、当時武家屋敷であり、茶室であった当庵を先代が譲り受けて半月庵の歴史が始まりました。明治2年2月の事と伝わっております。
半月庵の由来
その後水交社の場として、日本海軍の兵隊さんの憩いの場として、沢山の軍人さんを中心ご利用頂いたそうです。屋号の由来は、当時海軍は2交代制で、半日毎に勤務が交代しその後皆が寄って飲食していたお店であり、もともと茶室の為、その意となる【庵】を最後に付けて半日に一回寄る庵から【半日庵】と創業当時は呼ばれていたそうです。しかし、時代は第一次世界大戦に突き進み、日本海軍の皆さんも海外出兵が多くなった為集まる機会が少なくなったそうです。そこで誰が言うとも無く半月に一回は集まろうと言う事となり、その意となる【庵】を最後に付けて半月に一回集まる庵から【半月庵】となったと伝わっております。
半月庵の遷移
それ以来、代々に渡り料亭として生業を続けてまいりました。作家宇野千代さんとのゆかりは大正から昭和初期にかけて彼女のお父様がよくご利用だったところから生まれたようです。
その後第二次世界大戦の敗戦により進駐軍より、日本軍の軍属施設の解体が進められ当庵もその一つでした。ですが、海外客を中心に青少年の育成を目的とした宿泊施設「ユースホステル」の営業であれば認められる事となり、それより昭和50年までは飲酒禁止の施設ユースホステルを営み看板をつなげてまいりました。
平成の世に入り、やっと旧来の料亭として再建でき今日至っております。これからも100年、200年と続けて行きたいと考えておりますので皆様何卒宜しくお願いいたします。
お食事
伝統の味を守るべく、職人が手間を惜しまず手作りをしております。
妥協しない本物の和食の味を是非ご堪能くださいませ。
お食事について
お部屋のご案内
当庵のお部屋は落ち着いた畳のお部屋です。ゆっくり寛ぎの時間をお過ごしくださいませ。
お部屋について
ご昼食
錦帯橋から徒歩2分の好立地にございますので、ご昼食のご利用も人気です。
岩国の郷土料理「岩国寿司」や「大平」をご昼食でもご提供しております。
ご昼食のご利用について
ご会食・ご宴会
個室での宴会から、約100名が一同に会いせる大広間での宴会までご利用いただけます。
ご宴会、忘新年会、歓送迎会、ご会食、接待、お祝い等様々なお集まりにご利用ください。
ご宴席のご利用について
館内のご案内
2014年4月に共有スペースをリニューアルいたしました。
山口県産木材を使用した木(こ)だわりの温かみのある空間をご提供しております。
2020年4月1日より館内禁煙となっております。
館内について
周辺観光
錦帯橋周辺は岩国城、吉香公園をはじめ、岩国城下町として栄えた昔の町並みも楽しんでいただけます。
当庵周辺の主な観光スポットをご紹介します。
周辺観光について